March 1, 2005

Kuurne-Brussel-Kuurne

2/27、ベルギーで行われたKuurne-Brussel-Kuurneを制したのはHetVolkを落としたビッグチームだった。
DiscoveryChannelproCyclingTeamとしての初勝利をジョージ・ヒンカピーがあげた。
190kmにわたるきつく、強風のレースは残り6kmでケビン・ヴァン・インプ(ChocoladeJacques)とヒンカピーの2人がアタックし、ゴールスプリントとなった。
(28 Feb 2005 CyclingNews)

10人のアタックが決まり、90km地点でのタイム差は4分。
登りでは雪の降るところもあった。
残り80kmあたりからQuickStepやDavitamon-Lottoが引き始め、メイン集団も3,40人になり、先頭集団とのタイム差も3'20"に縮まる。
案の定Kwaremontの登りで集団は分断され、ボーネン、フルスマンス、デ・ウィールト、タンキンク(QSD)、スティーグマンス、レゼムス、ヴァン・ペテヘム、マタン、バゲ(DVL) 、ヒンカピー、ルーストン(DSC)、クローン(RAB)、クリア(TMO)が追走集団となり山頂でデボルダー(DSC)を吸収。バーホーテン、ボーヘルス(DVL)、ヴァンインプ、ジョアキム、レンショウを含む9人も追走し、最終的にはおいついた。

Kuurne-Brussel-Kuurneには、Het Volkを逃したビッグチームから勝者が出ることがよくある。
今日はDiscovery Channel Pro Cycling Teamのジョージ・ヒンカピーが若いChocolade Jacquesの2人のスプリントで楽勝した。この2人はタフで強風だった190kmの終盤、残り6kmからアタックし、先頭集団を引き離した。
Davitamon-Lottoは先頭集団32人のうち、8人全員残っていたにもかかわらず、2人の逃げに乗り遅れレゼムスが単独3位にとどまった。

ヒンカピーは"Kuurne-Brussel-Kuurne"を制した初のアメリカ人となった。彼はすでに2001"Gent-Wevelgem"、2004"Driedaagse van De Panne"も優勝している。
「寒くて風が強くて荒れ模様の天候の中でのスーパーハードなレースだった」とヒンカピー。
「1日中戦闘状態だった。最後には風ですべての勢いが死んでいたので、アタックの全てが先頭でもコントロールできなかった。」とコメント。

ヒンカピーはヴァンインプについて「彼のことはよく知らないんだ。ダーク(*監督)は『彼の状態は良い』と言っていて、自分もまだ足が十分に残っていた。昨日ほど調子が良いとは感じていなかったけど。昨日はすごく調子が良いと感じていたけど(Het Volk30位)最後の登りに入ったとき、まだ65km残っていた。あの苦労を思うと今日は最後までいけると感じていた。」

「確かに、ジョージはこのエリアのレースが好きだ、寒いときでもね」と、ベルギーのこのエリア出身でDiscovery Channelの監督ダーク・デモルは語った。「Wevelgemはここから10kmしか離れてないし、de Panneも50kmくらいだし、だからヒンカピーの好きなエリアと言えるだろうね」

「私たちはレースをハードなものにしたかった」とデモルは言う。
「昨日(Het Volk)のように、チームのパフォーマンスは良かったが、最終的なリザルトには反映されなかった。今日は最後につながるように、いつもいい位置に誰かをおいておきたかった。今日の指示はできるだけ集団を伸ばすようにして、終盤でいい状況を作るように、というものだった。」

ゴールが近づくと、デモルはヒンカピーとデボルダーにゴールに備えて足をためておくように言った。それからデボルダーが、最後の15kmの間に6,7回アタックをした。「デボルダーの仕事はトム・ボーネン(Quickstep)を一人にすることだった」とデモル。
ヴァンインプとヒンカピーの2人が勝利へのアタックを決めるまでは、ルーストンが他のアタックをつぶした。

「私たちにとってすばらしい勝利だった」とデモル。「私が見たところ、ほぼ全員がとても良いレベルにある。今週末は私たちにとって最初の大きなテストだったわけだが、今日の勝利はすばらしいよ」

投稿者 akemi : March 1, 2005 5:06 PM | トラックバック