◆ヨハン・ブリュイネル(USPostal監督)
「願ったいたよりも良い結果になった。チームはよくやった。全てが本当にスムーズにすすんだ。(TTTでは)過去2回序盤を抑えめにしたことで破れているから、最初から飛ばして行くつもりだった。良いスタートが切れたが、戦略は変わらない。我々はステージ狙いのままで行く。少なくとも山岳ステージまでは、この戦略でいくよ。
今日はラスト2kmでフロイドを先頭でフィニッシュさせようと決めた。今日1番いい走りをしていたし。彼はリーダージャージにふさわしいよ。」
◆フロイド・ランディス(USPostal:総合1位)
「(リーダージャージを着ることは)考えてなかった。今日は自分にとってすばらしい1日になった。今夜はちょっとだけお祝いして、チームメイトにお礼するよ。レース中は集中している必要があるから、ツールとヴェルタの間は完全にフリーにした。カリフォルニアで家族とリラックスして過ごし、毎日走ったけど、昨年したようにハードにはしなかった。コンディションはツールの時と同じくらい良いみたいだ。」
来季USPostalを離れPhonakで走ることは、今のチームでの士気には影響ないと加えた。
「USPSを離れるという発表はなんの影響もないよ。ランスとヨハンには悪い感情は一切持ってない。この決断は非常に難しいものだった・・・今日だって僕を勝たせてくれた、このUSPSの寛大さを見ただろ?」
(5 Sep 2004 CyclingNews 原文はこちら)
Cofidisのホームページによると、以下4人の選手と契約したという。
シルヴァン・シャバネル(Brioches la Boulangere)
ステファン・アウジュ(Credit Agricole)
エルベ・ダクロス・ラサール(Credit Agricole)
ニコラ・ノイディ(AG2r Prevoyance)
(5 Sep 2004 CyclingNews 原文はこちら)
23歳のニュージーランド人ヘイデン・ルーストン(Cofidis)がDiscovery Channelと契約した、とNew Zealand Heraldが報じた。契約は2年。ここ2年はケガに泣かされた。手術で悪かった部分も取り除く予定だ。
「アシストとしての仕事をしっかりやって、2年間勉強したい」とコメント。
(5 Sep 2004 CyclingNews 原文はこちら)
Cofidisのスペイン人イニゴ・クエスタが、2005年はSaunier Duvalで走ることが決まった。とProcycling.dkが報じた。Saunierのエース、ホセバ・ベロキのアシストをすることになる。クエスタは数日中に契約を成立させることを望んでいる。
(4 Sep 2004 CyclingNews 原文はこちら)
T-Mobileのパオロ・サヴォルデッリが2005年はDiscovery Channel(現USPostal)で走ることが決まった。契約は2年。
「ランス・アームストロングと同じチームで走ることができて嬉しい」とSporzaにコメント。
(3 Sep 2004 CyclingNews 原文はこちら)
ツール・ド・ランゲドック・ルシヨンはGP Midi Libreを継承して今年初めて行われたレースだが、スポンサーの撤退により来年は開催されないことになった。
(3 Sep 2004 CyclingNews 原文はこちら)
todociclismo.comによると、ジョナサン・ゴンザレス(Paternina-Costa de Almeria)がVueltaに出場しないことになった。前週、トラックにぶつかり70mひきずられており、その傷が快復していない為。幸い重傷ではないが、足に深い切り傷を負っておりまだ癒えていないため、レースは不可能である、と。
(2 Sep CyclingNews 原文はこちら)
2005年に向けて新たに6人と契約した。
フランス人のルドヴィック・アウジェ (Auber 93)、リリアン・ジュゴー(Crédit Agricole)、シリル・モネライ(Jean Floc'h)。
南アフリカ人のイアン・マクロード(HSBC),、ベルギー人のクリストフ・デュトワ(Lotto-Domo)、フィンランド人のジュシー・ヴェイカネン(VC Roubaix)。
(1 Sep 2004 CyclingNews 原文はこちら)
VueltaではAlessio-Bianchiのエースとして出場するカウキォリだが、Credit Agricoleに移籍することが決まった。契約は2年。
Barolworldのイタリア人フランチェスコ・ベロッティもCredit Agricole(1年)に移籍が決定。
(1 Sep 2004 CyclingNews 原文はこちら)
Vuelta a EspanaでのUSPostalの戦略について、ヨハン・ブリュイネル監督が語った。
マヌエル・ベルトラン、フロイド・ランディスの2人をWエースで。
総合よりもステージ優勝重視で。
今年11勝をあげているマックス・ファン・ヒースウィックのステージ優勝に期待。
アントニオ・クルスは直前のRonde van Nederland(Tour ob Holland)でのアシストぶりが買われて、ダニエル・リンコンに代わって出場。
マイケル・バリーは来年のTour de Franceの為のお勉強。
(1 Sep 2004 CyclingNews 原文はこちら)
現地では残すところ2日というクライマックスを迎えていますが、日本ではやっと今夜22:00からJSPORTS3で放送です。
今日はチームタイムトライアル。
出走チーム順とコースプロフィールはCyclingNewsのページでどうぞ
出場選手リストは@kemiの自転車館にものせていますので、こちらをどうぞ
◆エリック・ザベル(4位)
「表彰台まであと一歩というところだったが、また逃してしまった(*2000年は14位)。人生そんなものだ。レースはその日一番強い者が勝つ。ベッティーニはトップ選手だし、金メダルにふさわしいよ。」
◆タイラー・ハミルトン(18位)
「まだ100%の力じゃないんだ・・・たぶん90-95%くらいしか。ツール(*リタイア)後初めてのレースだったから、全般的に走りには満足してる。コースがもっと考えられたものだったら良かったね。集団をバラバラにするほどのコースじゃなかったから。自分やその他のアメリカチームの選手は積極的に走ったし、力を尽くしたよ。ベッティーニは飛び出した時は登りだった。集団にはためらいがあって、誰も追走を組織しなかった。ドイツチームはスペインチームを見て、スペインチームはベルギーチームを見て、ベルギーチームは僕たちアメリカチームを見て・・・誰も追走できなかった。ベッティーニみたいな選手に20秒も与えてしまったら、それでおしまい!」
◆ヤン・ウルリッヒ(19位/2000年金メダル)
「ベッティーニは直前2つのワールドカップレースではついてなかった(*いずれも2位)けど、彼がトップコンディションで勝利にふさわしいことを目にした。シドニーではTelekomの3選手が金、銀、銅を独占したが、1回限りだったようだ」
◆ボビー・ジュリク(28位)
「アメリカチームの誰かが勝ってくれればと思っていたが、期待にこたえることができなかった。この暑さの中ではよく走れたと思う。
ベッティーニがアタックした時は、皆疲弊していた。今日のベッティーニは別次元の走りだった。彼こそ勝利にふさわしいよ。ベッティーニのコンディションがいいのは分かってた。直前のワールドカップでは僅差で2位だったけど、いい走りをしていたから。
集団の先頭で走っていた。もし集団に残っていたら、ベッティーニや他の選手がアタックするところをちょうど見られただろうね。今回の勝利は当然のものだよ。」
◆スチュアート・オグレディ(33位)
「ベッティーニにはびっくりさせられた。できることはなかった。」
◆リシャール・ヴィランク(48位)
「待っていては勝てないからアタックした。他に数人ついてきたら一緒に行こうと思っていたんだけど、ブロックされたみたいだね。後悔はしてないよ」
(15 Aug 2004 CyclingNews 原文はこちら)
FassaBortoloのロベルト・ペティートも8/12にパパになった。サラという名前の女の子で、母子共に健康状態は良好。
(13 Aug 2004 CyclingNews 原文はこちら)
オリンピックの為アテネ入りしたマクギーだが、第2子出産が近づきモナコに戻った。
誕生したのは、男の子でローリー・ジョン・マクギー。体重4210gととても健康的。
「最初の金メダルだ」とマクギーも喜んでいる。上の娘ターリャは3歳。
(13 Aug 2004 CyclingNews 原文はこちら)
オランダ人のロイ・センテンスが2006年までRabobankと契約した。センテンスは1997年Rabobank入り。昨年のKuurne-Brussel-Kuurne classicで優勝している
(13 Aug 2004 CyclingNews 原文はこちら)
13名の選手が2005年あるいは2006年までの契約更新が決まった。
◆2005年まで契約の6選手
タイラー・ハミルトン(32)、ニコラ・ジャラベール(31)、アレクサンドル・モース(32)、オスカル・ペレイロ(27)、ニキ・エバソルド(32)、タデイ・バリャベック(27)
◆2006年まで契約の6選手
ホセ・エンリケ・グティエレス(30)、サントス・ゴンザレス(31)、マルティン・エルミガー(26)、ベルト・グラブシュ(29)、グレゴリー・ラスト(24)、ダニエル・シュニーダ(31)
◆ネオプロ(新人)---2006年まで
Sascha Urweider(24)
その他数名の選手と契約延長の交渉をしているが、アレックス・ツーレの引退は確定した。
(12 Aug 2004 CyclingNews 原文はこちら)
*オスカル・セビリヤの名前がありませんね、ヴェルタが終わってからなのかなぁ by @kemi
Rabobankのベテラン、ヤン・ボーヘンが2005年まで契約を延長した。ボーヘンにとってはRabobankでの選手生活は10年目となる
(12 Aug 2004 CyclingNews 原文はこちら)
Brioches la Boulangereが2004年でスポンサー契約を打ち切ることになったが、2005年はBouygues Telecomという新スポンサーを得ることになった
(12 Aug 2004 CyclingNews 原文はこちら)
スペインではヴェルタが始まりましたが、8月に行われたチューリッヒ選手権が明日からJSPORTSにて放送になります(9/12 21:00-23:00)。
チューリッヒをスタートして大きく72.5kmを1周し、次に内側42.1kmを4周してチューリッヒにゴールする全241km。ゴール前7kmほどは起伏がないので、ゴールスプリントが見られるでしょうか??
レース前、レース中にコースマップを見ると、分かりやすいですよね。上記マップのリンク先でStartListをクリックすると、出場者リストを見ることができます。Home,Results,Live Coverageをクリックすると、結果が分かっちゃうのでご注意あれ!
マヌエル・"トリキ"・ベルトランは過去2年、ツール・ド・フランスでランス・アームストロングの優勝を支えてきた。マルカ紙が、DiscoveryChannel(旧USPostal)との契約を1年更新したと伝えた。数日中にトレーニングに戻り、ヴェルタ・ア・エスパーニャでは総合トップ10入りを目指す
(11 Aug 2004 CyclingNews 原文はこちら)
スイスオリンピック委員会はオスカル・カメンツィンに替えてグレゴリー・ラストを出場させることを決めた。ラストはすでにアテネに到着したもよう。カメンツィンは検査で陽性反応が出たことにより、8/9にオリンピックチームから除名された。カメンツィンはEPOの使用を認め、プロ生活から引退することになった
(11 Aug 2004 CyclingNews 原文はこちら)
スイス人のオスカル・カメンツィン(Phonak)が検査でEPO使用が陽性になり、スイスオリンピックチームのメンバーから外されていたことが分かった。
7/22にスイスの反ドーピング委員会によって検査が行われ、カメンツィンの尿サンプルAからEPOの痕跡が見つかった。カメンツィンはサンプルBでの分析を求めていない。この結果に基づきPhonakはカメンツィンを解雇、スイスオリンピックチームからも除名されることに至った。
カメンツィンは今回の全責任は認め、チームは無関係であることをコメントしている。
カメンツィンは32歳、1998年にはジロ・デ・ロンバルディア、世界選手権で優勝しており、2000年にはツール・ド・スイス総合優勝、2001年にはリエージュ・バストーニュ・リエージュを優勝したトッププロ選手だった。
(9 Aug 2004 CyclingNews 原文はこちら)
CSCフランク・シュレックの弟、アンディ・シュレックがCSCとのstagiaire契約。アマチュアでFleche du Sud(41年前にシュレック父が優勝)など50勝以上しており、9/1よりプロ選手として走ることになる。
「アンディ・シュレックは非常に才能のある選手で、この秋はとても楽しみだ」とビャルヌ・リース監督もCSCのサイトでコメントしている。
「イタリア、フランスでのワンデイレースが中心になるだろう。そこでアンディがプロとしてやっていけるかを見て行きたい。アンディは将来有望な若手の1人として挙げられているが、このチームで国際的に開花した兄フランクのような大きな可能性を見せてくれるのか楽しみだ」と。
(10 Aug 2004 CyclingNews 原文はこちら)
T-Mobileのマリオ・アールツ(ベルギー)がOmega Pharma-Lottoとの2年契約にサインをした、とHet Laatste Nieuwsが伝えた。アールツは1998-2002にLottoで走っており、この2年はT-Mobileで走っていた。アールツは2002にフレッシュワロンヌで優勝している。
(10 Aug 2004 CyclingNews 原文はこちら)
クラシカ・サン・セバスチャンに出場したウルリッヒ。残り35km、このレース最高峰ハイスキベルの山頂でサドルにトラブル。不幸な出来事は先頭で逃げる7人を追走する集団のトップを走っていたときだったが、異常に気づき止まった。MAVICニュートラルカーがホイルを差し出したけれども、ウルリッヒが必要としていたのは新しいバイク。チームカーが到着するまで4分も待たなくてはいけなかった。この時点でウルリッヒの勝負は終了。チームカーに乗り込んだ。
「とてもゴールに近いところで起こったから、再び追走して追いつくのは無理だった。おそらくこれは来週のアテネまで幸運はお預け、ということなんだろう」とウルリッヒはコメント。
ウルリッヒはこの日、レース序盤でもパンクしていた。チームメイトのアンドレアス・クレーデンは、暑さが原因と思われる激しい頭痛に襲われ途中棄権した
(9 Aug 2004 CyclingNews 原文はこちら)